Singularity シンギュラリティ 2017 8 11

「AIコンピューターの何が問題なのか」
 数学が好きな人は知っている話でしょうが、
ここでは、たとえ話として使います。
 1から10まで合計すると、いくつになるか。
こうした計算については、
コンピューターが最も得意とする分野なので、
「1+2+3+4+5+6+7+8+9+10=55」と計算するでしょう。
 しかし、人間は、このような計算は疲れるので、
法則性を発見して、楽をしようとするでしょう。
「1+10=11、2+9=11・・・・・」、
つまり、「11」が5組あるので、
合計は「55」になると思いつきます。
 もし、AIコンピューターも、
「楽をしようとして」、
このような法則性を発見するとすれば、すごいことでしょう。
 問題は、どうやって、そういう答えを出したのか。
人間に聞けば、そういう答えが瞬時に出たのは、
「1+10=11、2+9=11・・・・・」という法則を使ったからだと説明するでしょう。
はたして、AIコンピューターは、説明責任を果たすのでしょうか。
 私は、時々、数学の問題を解答した時のことを思い出します。
高校生の時に、数学の問題に対して、答えだけを書いたら、点数が低かったのです。
 先生に聞くと、「どうして、そういう答えが出たのか、
途中経過が書いてなかったから、点数が低くなったのだ」と言っていました。
これは、数学における「説明責任」の問題でしょうか。
 しかしながら、私は、字が下手だったので、
下手な字を答案用紙に書くことは嫌だった。
それに、時々、奇想天外なことを思いつくからです。
 しかし、私が奇想天外なことを思いついても、
多くの人は、私の「人格」を見て、
それを信じるかもしれません。
 多くの人は、「どうして、そういう結論になったのか、わからないが、
あの人の日頃の言動から、そういう結論を信じても大丈夫だ」と判断します。
 はたして、AIコンピューターには、
「人格」があるでしょうか。
そこが問題なのです。
 あれは、いつのことだったか。
群馬県高崎市の小さな公園で、
白人の夫婦がブランコに乗ったままで、
10分以上も何も話さず、悲しそうな表情で、
桜の花びらが落ちている地面を見続けていました。
 私は、「奇跡よ、起これ」と強く祈りました。
その瞬間、地面から青空に上昇気流が起こって、
桜の花びらが天高く舞い上がりました。
 なぜ、白人の夫婦が悲しんでいたのか。
その公園の隣には、内村鑑三の記念碑があり、
その記念碑には、こう書いてあったのです。
「I for Japan;
Japan for the World;
The World for Christ;
And All for God.」
 キリスト教徒の数は、数十億人になるでしょうが、
ここまで言うことができたキリスト教徒は、
たったの一人でしょう。
正に、内村鑑三は、近代日本に現れた「預言者」でした。
 キリスト教国には、こうした預言者が現れず、
なぜ、日本に出現したのか。
 それを考えると、キリスト教国の人たちは、
「非常に悲しい」と感じるでしょう。





































































































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